ADHDを公表している芸能人たち ― 挑戦と努力の背景
はじめに
本記事では、ADHD(注意欠陥多動性障害)を公表している芸能人のエピソードや背景を紹介します。特に、ADHDやその他の発達障害で生きづらさを感じている方や、その周囲の人々に向けて、「困難を抱えながらも活躍する姿」から勇気や前向きな気持ちを持っていただくことを目的としています。
タイトルの通り、芸能人の境遇や経験談を通じて、障害と向き合いながら人生を切り拓く姿をお伝えします。
ADHDとは

ADHDは発達障害の一種で、生まれつき脳の一部の機能に偏りがあることにより、不注意や衝動性、多動性といった特徴が現れます。このため、日常生活や仕事で困難を感じる場面が多くあります。
症状の現れ方は人によって異なり、同じADHDでも得意分野や苦手分野はさまざまです。本記事では詳細な症状解説は省きますが、別の参考資料や動画で詳しく確認していただくことをおすすめします。
1人目:眞鍋かをりさん
タレント・女優として幅広く活躍する眞鍋かをりさんは、横浜国立大学を卒業し、高学歴タレントとしても知られています。20代前半、大学在学中に芸能界デビューしたころ、ADHDの存在を知り、自分の特徴が当てはまると感じて受診。医師からADHDの可能性が高いと告げられました。
仕事の現場では、「決められた位置に留まり続けることが難しい」「忘れ物が多い」といった典型的な症状に悩まされたそうです。しかし、自分の特性を理解し受け入れることで、自己否定が減り、仕事にも適応できるようになったと語っています。
学生時代は症状が生活に大きな影響を与えることは少なかったようですが、社会人として求められる責任や複雑な業務の中で困難が顕在化し、大人の発達障害の典型的なパターンを示しています。
2人目:栗原類さん
モデル・タレントとして知られる栗原類さんは、ネガティブキャラで注目を集めた人物です。発達障害を公表後は、自身の経験を綴った書籍も発表し、啓発活動にも取り組んでいます。
彼は子どものころ、アニメ映画『ファインディング・ニモ』に登場する、物忘れの多いキャラクター「ドリー」を見て、自分と重ねて違和感を覚えました。その後、ADD(注意欠陥障害)と診断されます。ADDはADHDのうち多動症状が目立たず、注意欠如が主な特徴となるタイプです。
栗原さんは注意散漫や忘れ物、記憶力の弱さに苦労し、さらに日米両国での生活による言語や文化の壁、そして中学時代のいじめによる不登校といった困難を経験しました。しかし17歳でモデルオーディションに合格し、芸能界で活躍を始めます。彼の歩みは、困難な背景を持ちながらも新たな道を切り拓く力強さを示しています。
3人目:SEKAI NO OWARI Fukaseさん
日本を代表するバンド「SEKAI NO OWARI」のボーカル、FukaseさんもADHDを公表しています。加えて、パニック障害の併発も明らかにしています。
10代のころは不登校や高校中退、大学受験の挫折などを経験しました。大学受験時には服薬の副作用により記憶が安定せず、学習が困難になったこともあったといいます。また、精神科の閉鎖病棟に入院していた過去もあり、当時は重度の症状に苦しんでいました。この入院経験の中で「これは世界の終わりだ」と感じ、それがバンド名の由来になったと語っています。
退院後、音楽と仲間だけが自分の支えとなり、そこから再出発。結果的に大きな成功を収め、多くの人々の心を動かす楽曲を生み出しています。彼の経験は、深い苦しみが創作活動に新たな感情や視点をもたらすことを示しています。
芸能人の姿から学べること
今回紹介した3人に共通するのは、才能だけでなく、自分の特性や障害と向き合い、試行錯誤しながら道を切り拓いた点です。ADHDの特性は、芸能界や音楽活動などで活かせる面もありますが、その裏には数えきれない努力や自己管理の工夫があります。
「芸能人だから特別」という見方もできますが、彼らの挑戦は一般の仕事や日常生活にも通じます。どんな環境でも、自分の特性を理解し、必要なサポートを得ながら一歩を踏み出すことが大切です。
おわりに ― 一歩踏み出す勇気
ADHDであっても、そうでなくても、自分の可能性を広げるためには「一歩踏み出す勇気」が不可欠です。今回の芸能人たちも、表に見える華やかな成功の裏で、困難や挫折、努力を積み重ねてきました。
大切なのは、障害の有無ではなく、自分の状況を受け入れ、工夫を重ね、行動すること。大きな成功でなくとも、自分らしい生活や仕事を築くことも立派なゴールです。読者の皆さんが前向きな気持ちで、自分の一歩を踏み出すきっかけになれば幸いです。