【なぜ障害者を支援する必要があるのか?】実在した障害者安楽死(虐殺)政策や優生保護法について

「なぜ障害者を支える必要があるのか」あなたはこの問いに対してどのように答えますか。「法律で定められているから」「支援が必要とされているから」「かわいそうだから」…さまざまな考えが頭に思い浮かぶと思います。今回は、このような問いに対して優生思想についても触れ、かつて優生思想がどのような悲劇を生み出したのか、日本の優生保護法にはどのような問題があったのかを確認していきながら、障害のある人に対する「支援」について考えを深めていきたいと思います。

なぜ障害者を支援する必要があるのか

「なぜ障害者を支援する必要があるのか」という問いに対して、「法律で定められているから」「支援が必要とされているから」「かわいそうだから」といった理由が思い浮かぶかもしれません。しかし、これらの理由とは全く異なる考えを持ち、その思想を国家政策にまで進めた国がありました。それが、優生思想を進めたナチス・ドイツです。

優生思想とは

優生思想とは、遺伝的に優れているとされるものを保存し、平均的な水準に劣る遺伝子を排除しようとする考え方で、優生学に基づくものです。この思想は、ダーウィンの進化論を社会政策に適用した「社会的ダーウィニズム」とも関連しています。しかし、実際に誰が「優良」で誰が「不良」であるかは遺伝子だけでは決まりません。ある社会で「優良」とされる行為が、別の社会では「不良」とされることもありえます。さらに、個々の人がどのような人生を歩むかは、その人が生まれ育った環境や社会的背景にも影響されます。「優良」や「不良」といったラベルを貼る行為は、単なる価値判断に過ぎないのです。

ラベリングとは

ラベリングとは、もともと「ラベルを貼る」という意味であり、社会学では「社会によって逸脱というラベルが貼られることが逸脱行為の本質である」とするラベリング理論が提唱されています。社会が障害を「劣っている」とラベリングすることで、障害者が劣った存在であるという認識が生まれ、そこから社会的排除が生じることもあります。

障害者安楽死政策

話は戻りますが、優生思想が「遺伝」という科学的な要素と結びついた結果、ラベリングを超えた恐ろしい政策が実施されました。それが、障害者安楽死政策です。ナチス・ドイツでは「T4作戦(Aktion T4)」という政策のもと、障害者を安楽死させることが進められました。この作戦では、遺伝疾患に限らず、精神障害や知的障害を持つ人々が「劣った人間」として断定され、子孫を残さないために強制不妊手術が行われたり、障害者がガス室で安楽死させられたりしました。その犠牲者は10万人に上るとされています。この作戦は、後にユダヤ人絶滅収容所の政策にもつながったと言われています。しかし、このような思想や政策は、過去の異国の話だけに留まりません。

日本の優生保護法

日本でも、1996年まで存在した「優生保護法」のもとで多くの障害者が強制不妊手術を受けさせられました。優生保護法は1948年に制定され、その第一条には「優生上の見地から、不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と明記されていました。この「不良な子孫が生まれることを防止する」という目的のために、国は時に障害者を欺いてでも強制不妊手術を行わせる指導をしていました。1996年には、優生思想に基づく条項が削除され、法律名も「母体保護法」に改められましたが、現在でも出生前診断や選択的人工妊娠中絶などをめぐる議論は続いています。これらの議論の背景には、「障害を持って生まれてくることは不幸である」という価値観が根底にあります。

障害は不幸か

視覚と聴覚の両方に障害を持つヘレン・ケラーはかつて、「障害は不便ですが、不幸ではありません」と述べました。しかし、現在の日本社会では「障害は不便ではなく、不幸である」という考えが根付いています。障害者の自立生活運動や、障害者たちが「母よ、殺すな」と訴え続けた地域自立生活を求める運動は、この「不幸」という価値観と戦ってきたのです。「障害」が「不幸」と結びつく理由は、日本社会が何を「幸せ」と定義しているのかに関連しています。資本主義が進行する中で、経済的効率を最優先する社会では、その枠組みに外れる人々、たとえば障害者やホームレス、認知症高齢者、社会的ひきこもりの人々が社会の隅に追いやられます。経済的効率を突き詰めた場合、非効率な人間の排除という点で、ナチス・ドイツの障害者安楽死政策と同じ思想に行き着いてしまう危険があります。

優生思想

優生思想は、「科学的知識が正しい」「障害者は健常者に比べて生産性が低いから劣っている」といった価値観を前提としています。しかし、誰が劣り、誰が優れているかは普遍的に決められるものではありません。個々の障害者がどのような環境で暮らしているか、その状況や支援者との相互作用によって、その人の可能性が開かれることもあれば、閉ざされることもあります。このような価値観は、障害者支援だけでなく、高齢者や子どもの支援、学校教育においても重要です。支援者と支援を受ける人との出会いによって、支援の効果は生まれます。

支援とは

では、「支援」とは一体何でしょうか?「支援」と対極にある「支配」という言葉を、広辞苑では以下のように定義しています。

支配

ある者が自分の意志や命令によって他の人の思考や行動に影響を与えること。その存在を左右するほどの強い影響力を持つこと。

支援

支え助けること。支援すること。

「支配」と「支援」の違いは、一方が他方に圧倒的な影響力を持ち、支配される側が反論できない「一方通行の関係」であるか、相互作用を通じて「対話」が求められる「双方向の関係」であるかという点にあります。支援とは、支える側と支えられる側が互いに関わり合い、共に変化していく関係です。支援の現場では、「支配者」としての役割を担うのではなく、「支援者」としての役割を果たすことが求められます。支援者は、専門知識を支配ではなく、対話のために用いるべきです。障害のある人の思いや願いを聞き、その実現方法を共に考え、試行錯誤しながら模索する関係が、真の支援関係を生むのです。支援に「これが正解」というものはなく、支援者と受け手が関わり合う中で、共に作り上げていくものです。